no more war

鶏鳴の滝

2009年01月23日 19:25

家の裏には昭和の時代に(終戦後くらいまで)大きな陶器工場があったそうです

第2次世界大戦末期、いよいよ「本土決戦」が近づいた頃、各地のやきもの産地は「陶器製手榴弾」の製造を命ぜられたそうです。
信楽も『陶製武器振興会』を結成し手榴弾や地雷などを作ったそうです

当時、家の裏の工場も演習用の模擬弾を作成しており、今でも雨の時は土砂と一緒に用水路まで流されてきます


信楽焼も時代に合ったいろんなものを作ってきたのでしょう
でも・・・武器は辛いですね。

no more war






関連記事